感想052-058 #荒野に希望の灯をともす(劇場版)

喫茶 壁と卵

#壁と卵の小さくて親密な映画の会 VO.1

#荒野に希望の灯をともす(劇場版)

みなさまからいただいたの感想を公開しています。

感想をお寄せいただいたみなさま、本当にありがとうございます。

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わかりやすくするために

Aさん Bさん ・・・・と順番に記載しています。

#カベタマシネマ


W・Y様 (052)

荒野に希望の灯をともす

とてもいい映画だなぁと思いながら観ていました。

いい映画と思った理由は、考えるための余白がたくさんあったからです。中村さんが立ち向かった困難、乗り越えた壁の大きさを、自然と想像してしまうような場面がいくつもありました。

①蝿を気にしない

中村さんがペシャワールの会の方へ向けての報告文を作成している場面がありました。パソコンに向かっている中村さんに蝿が、二、三匹飛び回っては手や腕に止まっていました。中村さんはそれを全く気にせず、パソコンに向かっていました。現地が衛生的でないことや快適でないことが伝わってきます。それは物質的なことだけではなく、精神的にもきっと不快なことがあったんだろうなぁとも想像できました。

日本語を使える場面は少なく、英語と現地の言葉をミックスして中村さんは話してました。

大事な場面…全員を集めて話をする時は、英語で話し、翻訳してもらっていて、そういうことも含め、歴史、文化、宗教、人の考え方や振る舞い諸々、一度気になってしまうとストレスが溜まり続ける環境だろうなぁと思いました。

明らかに、そういったことを乗り越えていることが映像の中村さんからも伝わってきて、そのことにも感激しました。だからこそ、語る言葉が理想で固められたものではなく、きちんと人としての体温を伴っていることも感じられました。

②幸せのケーキ

らい病の女の子の話でした。あまりの痛みに殺して欲しいと懇願する女の子…中村さんは気管の切開を決断し、女の子から痛みを取り去る代わりに、声を奪ってしまうという治療を選んだ場面がありました。中村さんの苦悩…想像がつかないなと思いながら、観ていました。

時が経ち、クリスマスに患者さん全員へ中村さんからケーキを配った時、その女の子が最高に幸せだと声を振り絞って、語り合っていたことを知り、中村さんがちょっと安堵する…この場面で、幸せってなんだろうなぁと改めて考えさせられました。

③次男が亡くなられる

アフガニスタンが歴史的な災害・そして人災の時、中村さんもまたご自分の息子さんを亡くしました。

幸せってなんだろう…って、ここでも考えさせられました。

家族という単位で、近くにいて暮らすことが最高に幸せだと考えている人も多いと思いますが、家族のカタチ、幸せのカタチは、1つではないんだよなぁと考えながら観ていました。

そばにいなくても、相手の幸せを願い、目の前のことに全力を尽くす

中村さんを見ていると、それを力むことなくやっている感じがして…

幸せを感じられるかどうかは、全力を尽くした先の自分にしかわからないのかもしれないなぁと思ったり、見方や考え方を変えていかないと幸せの捉え方を間違えてしまうなぁと考えたりしながら、観ていました。


忙しい…って漢字は、心を表すりっしんべんに、亡くすと書くんですが 💦 お店を始めてからというもの、忙しいということを口実に、学ぶ心を亡くしてしまっていたんだなぁということを感じました 💦

改めて、いい仲間といいお店を創っていくために、学ぶ時間を生み出そうと思いました。


 R様 (053)

異国の地で日本人が信用を得ることがまず難しいと思うのですが、中村さんは人々の命に関わる医師として多くの方に信頼、感謝されていて、亡くなられた今でもプロジェクトが続いているというのは本当に素晴らしいことだと思いました。

用水路建設も一から研究して自ら建設に励み、その姿を見て多くの人が建設作業に協力し、長い時間をかけてようやく田畑が潤っていく様子は感動的でした。

中村さんのような方がいらっしゃったことを知ることができて自分自身豊かになりました。


M・O様 (054)

劇場版 荒野に希望の灯をともす 上映会感想

中村さんご自身がアフガニスタンみんなの「希望」であり「灯」だなぁと感じました。現地の方々にとって、とても心強かったと思うし、困っている人がいたら助ける。そのために何がなんでもやり切る熱意が信頼につながっているんだと思いました。砂漠が森になっていった景色に感動しました。中村さんが居なくなってしまった今でも活動は続いていて、起こる困難を乗り越える、中村さんの精神が受け継がれていて、中村さんのお人柄やアフガニスタンで、現地の方とどう向き合ってきたのかが感じ取れました。

映画が観れて、知る機会を与えてくれた壁と卵のお二人に感謝です。

また映画を観れる機会があったら参加したいと思いました。


M様 (055)

中村哲さんがアフガニスタンの人々のハンセン病などの病の治療をし、最初は医師として人々を救っていく活動をしていましたが、アフガニスタンの人々を飢餓から救うために用水路建設に必要な知識を学び、本当に月面のようなアフガニスタンが井戸や水路が出来て緑も増え、豊かになっていく様子に胸が打たれました。

中村さんはお亡くなりになってしまいましたがそれでもアフガニスタンの方々が意思を継承していて活動をされていること…

なんて影響力のある人なんだろうと思いました。

きっと中村さんに出会い、治療含め、命を救われた人もたくさんいると思いますが豊かになった人がたくさんいるのだろうと映画を通してわかるドキュメンタリーでした。

本も購入して読みたいと思ってます。


H様(056)

恥ずかしながら異国の地でこういった活動をした日本人がいたこと、亡くなった今でもその取り組みが続いていることを知りませんでした。

病気で体が変形してしまっても祈ることしかできない人々や飢えた子供達の映像はショッキングで、自分であれば目を背けたくなる状況であったろうと思います。

何かしなければと思ってもそれは簡単なことではなく、アフガニスタンの方が中村さんへ投げかけた言葉にもあったように「気まぐれに助けて去っていく」人が大半なのだろうと想像ました。根本的な解決には労力も時間もかかり、異国の人々のために何年もかけて実行するということは並大抵のことではありません。

厳しい現実から目をそらさずに向き合い続けた中村医師の言葉は切実に響きました。『戦争よりも平和は積極的でなければならない』『彼らは殺すために空をとぶ、私たちは生きるために地面を掘る』といった言葉が印象に残りました。観念のために人を傷つけるのではなく、いい関係を築くためにどうすればよいかを考える側でありたいと思いました。

「平和であること」や「健康に生きている」ということは尊いことだと思いました。戦争や飢餓で命を脅かされることのない今の日本の生活では、改めて考える機会が少ないですが、人として忘れたくないことだと思いました。荒野を緑に変えることは誰にでもできることではないですが、知っているということ、考えたことがあるということはふとした時の行動を変えることがあると思います。

知る機会、考える機会をいただき作品と壁たまのお二人に感謝します。

今後もお二人の発信の機会があれば、またぜひ参加したいと思いました。


久-hisa- 様 (057)

荒野に希望の灯をともす

映画の感想について書き残します。さあ、うまく書けるかな。

作中で福岡県の山田堰から着想を得た際に、中村哲さん(以後、中村と書かせていただきます)は「人は見ようと思ったものしか見ることができない」と話していました。この言葉がなぜか私の心につっかえているので、ここから書き始めたいと思います。「人は見ようと思ったものしか見ることができない」。それは裏を返せば「関心がないもの・無知のものは見ることができない。」と言い換えることができます。では、さらにその裏を返せば...というよりはむしろ解釈の飛躍になりますが、「知らないことを知ることで、あなたの見ることができるものが広がっていく。見ようと思うかどうかは置いておいて」ともいうことができるかもしれない。ここまでの飛躍は、この場面で中村が話していたことの意図とは全く別です。ただ私は、本映画を通して私の知らなかった「中村哲という生き方」を知ることができました。

生き方の一つとしての中村哲

この生き方、かっこいい。文化が異なり、生活が異なり、環境も政治も不安定の中に生きる多くの人々の心に、希望の灯をともす。中村はアフガニスタンの干上がった土地を緑地に変えた。それだけではない。子供が出稼ぎに行くような生活から家族と時間を共にできる自給自足の生活に変えた。さらに、アフガニスタンの人々の心まで変えた。水も食料もなく、雇用もない過酷な状況で、どこからともなく泣き声が聞こえる環境では、誰だって心が荒んでしまう。それを緑豊かな心に変えた。アフガニスタンの青年たちが用水路を作っているときの希望に満ちた姿勢や、完成した後の子供たちの笑顔。そして中村の遺志を継いだ後継者が、それらを物語る。中村哲という生き方が、ただただかっこいいと心を動かされる。こんな生き方があるんだと感銘を受ける。

自然は、自然の摂理に沿ってシステマティックに動く。政治は、現代の高度な大量消費社会に動かされ、人間の欲というシステムに沿って意思決定が行われる。このようなシステムに一人で立ち向かうことは、「卵が壁に立ち向かう」ことと同義である。数万・数十万人が集まっても勝ち目はほとんどない。「ではどうすれば、卵が割れずに済むのか?」そこで中村は、「人々に希望を与え続けること」を選んだ。常に自分の信念を貫き、正しい道を歩んでいった。今の私のように「働かなくても生きていける道、ないかな」なんかじゃなく、”まっとうな”生き方を選んだ。中村は「困っている人がいたら、放っておけないじゃないですか。」という。きっと私もその意見には同感だ。でも、きっと私にはそれができないまま死んでいく。

自分はどうすれば良いの?

ここまで書いたことは、紛れもなく私の本心です。中村哲という生き方を知ることができて、素直にかっこいいと思いました。このようなすごい人や、一生かけても敵わない人の生き方を知って、その度に私は「ああ、すごいな。敵わないな。」って思って。そしてその後に続いて「じゃあ、私はどうすれば良いの?」という気持ちが押し寄せてきて。

このことについて私なりの答えを出すため、文章にして綴ってみたいと思います。

まず、今の私は自分の生き方に悩んでいます。上述したように「働かなくても生きていける道、ないかな。」と思って楽な道を探し続けています。でも本当は、本当の私は、たくさんの人を救うヒーローになりたがっている。そんな気がする。少しばかり私は社会の常識(世間体やプライド)に囚われすぎていて、自分の本当の心が掴めなくなっているけれども、きっと心の奥底では、「誰かのヒーローになりたい」という気持ちがある気がしている。だから中村哲のような生き方に感銘を受ける。憧れている。羨ましくもある。同じような人生を辿ってみたいとも思う。そして、それが身勝手な意見であることもわかっている。1時間30分の映画ですら数多くの苦悩があったのに、35年ともなればもっと大量の、想像のつかない苦悩があったはずです。私に耐えられるとは思いません。でも、羨ましい。私だって、そんな生き方を通して、同じく苦悩している人々に(私なんてちっぽけな悩みですが、多かれ少なかれ悩んでいる人に)生きるヒントを与えることができる人になりたい。

私にも、何か「絶対的に成し遂げなくてはならないこと」みたいな試練が降ってくるのかな。そうしたら中村哲のような生き方ができるのかな。いや、多分違う。中村も絶対に成し遂げなくてはならないことが降ってきたわけではない。映画の冒頭では「見捨てちゃおけないからという以外に理由はない。」と話していた。でも彼には、楽な道だって選べたはずだ。「誰もそんな山奥に診療所を設けていないのだから、何かできない理由があるのだろう。万が一私が病気にかかったり戦争に巻き込まれて、家族と一緒に暮らすことができなかったら、家族が困る。家族を守るのが私の正義だ。」などと言って、遠くの国の困り事から目を逸らすことだってできたはずだ。そこには正解なんてないように思う。どっちの道も、正しいように思う。ただ、中村哲は、自分でアフガニスタンで医師として生きる道を選んだ。

じゃあ、”今”の私はどうすれば良いのだろう。中村哲のようなヒーローになれるだろうか。好きではない仕事に時間を使い、帰宅してやっと大好きな本や音楽に浸って、今の自分を肯定してくれるような都合の良い言葉を探してなんとか今のままの私を慰めて。そうやって、本当に成し遂げたい何かが心のうちにあるのだとしても、”諦めるための材料”が心の中にたくさんあるから、それらを都合の良いように引っ張り出してきて、「まあいっか。」って諦めて明日になる。...暗い側面から自身を振り返ってしまいましたが、明るい面から見たとしても少しマシになるくらいです。そして今日、中村哲という生き方を知っても、このまま時が経って、忘れてしまうのかもしれない。

「私なりの答えを探すため、文章に綴ってみます」と書いておきながら、これだという答えは見つかりませんでした。ひとまず、忘れないように心にとどめておくしかないのかもしれない。大事にしている本を、一つずつ本棚にしまうように。今の私にできることは、とにかく多くの人の生き方を通過させて、それらを一つずつ刻み込んで(あるいはこのように言葉に書き留めて)、心の本棚にしまうことだ。いったん今は、それで良い。いつか中村哲の言葉や、姿勢や、功績や、遺志が、私の思考や行動の材料として活き、誰かにとってのヒーローになれるかもしれない。


A・N様 (058)

Thank you so much for sharing this beautiful film! 

It was extremely inspiring to see what one individual can accomplish together with a society. Very touching in a beautiful café in Tokyo - amazing!





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ちょっと近所の喫茶店による時間、 って 人の心に必要なものだと思うのです。 遠くに住む家族や友人たち、 近くに住んでいても、介護や子育て、病気や仕事など いろんな理由があってなかなか来られないお客様にとっても 幡ヶ谷のお店に訪れたような 気持ちになれる場所を インターネット上に作れたら そんな気持ちではじめました。

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